〈ひかり〉百年目の七夕

 人生百年時代と言われますが、百年生きるというのは凄いことなのだとつくづく思います。
 自分に置き換えてみると、今までの人生をもう一回分生きるのと同じ長さということになります。今百歳の方は、大正デモクラシーから昭和恐慌、日華事変に第二次世界大戦、アポロの月面着陸からインターネットの普及まで、すべての時代を生きてこられたということです。想像するだけで目が回りそうです。

 一日一日は、何気なく過ぎていきます。今日の日はもう二度と来ない、自分はしっかりと今日を生きただろうか、と眠る前に考えるような人は、そんなに多くないと思います。
 なんとなく昨日と同じ今日が来て、今日と同じ明日が来る。漠然とそんなふうに考えて、みんな生きているのではないでしょうか。谷川俊太郎という詩人がいて、その方の詩に、
「輝く今日とまた来る明日」
 という一節があります(普通は今日が輝いているとさえ思わないものですが)。
 来るか来ないかわからない明日よりも、この瞬間の方が輝いているのさ( ̄▽ ̄)
 ということなのかと思いますが、とにかく、漠然と、皆生きていて、それが普通なのだと思います。そして、普通であるということは、かなり幸せなことなのだと思います。百年を生きた方も、気がつくと百年過ぎていた、もしかするとそんな感じかもしれません。

〈ひかり〉には百歳をこえて、なお元気で暮しておられる方がいます。いまも自分の足で歩かれていますし、食事も普通食を召し上がっておられます。一緒にいる時間が長い職員などは、その方が百歳を超えているということをうっかり忘れているときがあり、他のお若い利用者さんと同じように感じていて、何かの拍子に、あ、この方は百歳なんだと思いだす、そんなことが度々あります。
 いま、「他のお若い利用者さん」と思わず筆が滑ってしまいましたが、お若いというその方たちも、八十代後半から九十代のはじめと、私たちから見ると、皆さん人生の大先輩です。

 7月7日は七夕でした。
 一年に一度しか会うことのできない夫婦の物語である七夕ですが、百年生きた方はどういう形であれ、百回七夕の物語を聞いたことになります。百年を生きるということの凄さは、そういうことなのだと思います。
 今年もまた七夕だなと7月7日になれば誰もが心のどこかで思うのでしょうが、その「今年もまた」は20回目でしょうか。それとも30回、40回……一年に一度の催事を百回経験するということの凄さは、自分がここまでの人生で数えた七夕の回数と、この先いくつそれを数えることができるのか(数えたいのか)と考えたときに、初めて気づくものかもしれません。
 そして、百年目の七夕を迎えた凄さというのは、ご本人よりも、むしろ周りにいる人間の方が良くわかっているのかもしれません。
■星と笹

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