〈認知症相談〉理解すること

 何といっても周囲の人の理解が大切です。認知症の方の支援を困難にする要因の大きな部分を占めるものがBPSDであるということはこれまでにも説明させていただきました。

1.おさらい
 少し専門的なことになりますが、BPSDが起きる原因には①背景因子と②誘因があります。

①背景因子とは:「因子」とは、ある結果を引き起こすもとになる要素のことです。この場合ですと、BPSDを引き起こすもとになる要素。具体的には生活環境や持って生まれた性格です。

②誘因とは:聞きなれない言葉かもしれませんが、意味は「ある作用を引き起こす原因」ということです。この場合ですと、「BPSDを引き起こす原因」ということです。

 つまり、認知症という病気の中核症状があります。そこに生活環境や性格(遺伝的要因等)が加わることでBPSDが生じやすい状態が生まれます(背景因子)。
 いままでできていたことができなくなるということでストレスが溜まります。
 そこにご家族や支援者などから、失敗を咎めるような厳しい言葉がかけられます(誘因)。
 ストレスが溜まっていたところに、厳しい言葉がかけられることでBPSDが発症します。

 つまり誰かの言葉、あるいは態度が、BPSDのスイッチを入れるということなのです。ここで難しいのは、スイッチは認知症の方それぞれによって異なるということです。支援者にとっては何気ない言葉であっても、受ける側にはそれが耐えがたい言葉となり、BPSDのスイッチとなる。そういうことだとご理解ください。
 繰り返しますが認知症は病気です。先に背景因子に本人の性格もあるということを書きました。BPSDには性格が影響を与えると言われています。だからといってBPSDが性格のせいだということではありません。仮に、支援者が介護拒否にあったとしても、それは支援者であるあなたが嫌われているからではありません。認知症になられたご家族が意地悪な性格というわけでもありません。すべて病気です。
 この〈認知症相談ブログ〉の第1回でも書きましたが、認知症は病気ですので、医療機関にかかることは当然のことです。認知症にかかられたご家族と一緒に暮らし、その行動に戸惑っておられるか方に、私たちが医療機関の受信をお勧めするのは、病気の気配を感じているのに放置することで、病気がさらに悪化することを防ぐためでもあります。



2.周囲の人の理解
 その行動は病気であるということ。つまり治療の対象であるということです。とはいえ支援者として強いBPSDがある方の支援をしていると、仕事として支援をしている私たちでさえ、困惑することがあります。
 そこで、まずはその人の気持ちを考えてみたいと思います。認知症になると、以前のように物事ができなくなります。病気の初期段階では、以前のように物事ができないことをご本人が一番感じています。

・以前のようにうまくできない……自分で言うのは恥ずかしい。
・年だから仕方がない。
・家族に迷惑をかける。
・テレビでみる認知症のような、あんなふうになりたくない。
・子供にできなくなっていく自分を見せたくない。

 いかがでしょう。その人の気持ちになってみれば、不安の中にいるということは理解できると思います。家族はもちろん何とかしたいと思っていますが、しかし誰よりも助けを求めているのは、ご本人です。
 助けてほしい、でもいえない。その上、家族や周りの人に失敗を怒られたりなじられたりしたら、失敗することへの不安や恐怖を感じることは当たり前です。すると精神的に強いストレスがかかる。そうなれば精神的にも不安定になります。結果、怒りが抑えられなくなったり、幻覚や幻聴、妄想などが出てきます。

3.対応について 
 なによりも本人が安心できる環境、落ち着ける環境が必要です。そうすることによってBPSDの発症する可能性はずいぶん低下します。
 と、同時にいま何らかの不適応行動が出ていたとしても緩和できる可能性があります。緩和というのは改善されるという意味ではなく、相手を理解することで、支援者が感情的になる状況を回避できる可能性があるということです。支援者の心のありようは、相手に反映されます。これは認知症に限ったことではありません。支援者が感情的になれば相手も感情的になり、支援者が落ち着いていれば、相手も落ち着いてくれます。
 例えば、こんなやりとりをイメージしてください。家族がグループホームに面会に来られました。母親と娘の会話という設定にします。

「わたし、今度帰りたい」
「無理よ」
「どうして、あそこはわたしの家なのに、どうして帰っちゃいけないの」
「だって、お母さんひとりでは暮らせないじゃない」
「どうして? 暮らせるわよ。お前たちが家を出てからずっとひとりでやってきたんだから」
「無理だって。いまのお母さんはさっきのことも忘れちゃうじゃない」
「忘れていなんかいない! お前のことだってちゃんと覚えてる! ひとりで暮らせないわけがない! 絶対に帰るから」

 こんな感じのやりとりに発展していきます。
 私たち支援者が同じことを言われた場合はこんな対応をします。

「わたし、そろそろ家に帰らないといけないの。帰りますから」
「そうですか。承知しました」
「じゃあ、さっそく準備をしますのでよろしくお願いいたします」
「その前に娘さんに連絡をさせていただいてよろしいですか」
「娘に言わなくてもいいでしょう。わたしのうちなんだから」
「申し訳ありません。ここに来いただくときに、お嬢さんからお母さんが自宅に戻られるときは、先に連絡をいただくようにと言われています。お嬢さんが迎えに来られますので」
「そうですか――わかりました。では連絡をお願いします」

 実際は、この通りではなく、その時々に臨機応変に対応します。ここで重要なのは冒最初の部分です。帰りたいと言われたときに、「帰れません」と申し上げると認知症高齢者の方は、そこで不安になり、混乱して感情的になります。だったら、わかりましたと答えれば、自分は帰ることができるということで安心をされます。そこから話を展開していくという手法を私たちはよく使います。
 これは繰り返し申し上げていることです。何よりも、まずは否定しないこと。相手が信じている世界を大切にすること。思いに寄り添うということは、そういうことではないかと私たちは考えています。

4.まとめ
 認知症の方ができるだけストレスを感じないように接する。基本はそれです。それがすべてと言っていいかもしれません。もちろん医療という選択肢もありますが、今回は医療以外の部分です。

 まずは自分たちのこととして考えてみてほしいというのが私たちの考えです。それは非常に難しいことだということはわかっています。難しいというのは現実です。現実的にはとてもできない。そういうことはたくさんあると思います。
 しかし理想的な接し方ということについては知っておいてもいいように思います。といって素晴らしい方法があるわけでもありません。仕事として認知症の支援をしている私たちでも、日々悩みながら支援をさせていただいています。

 このブログには私たちに直接相談していただ抱けるフォームを作ってあります。どんなことでも結構ですの、お悩みの方は気軽に相談してください。できるだけお力になりたいと思っています。

 よろしくお願いいたします。

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