7月のブログで相手を知ることが大切だと書きました。本人の状態を知ることも「知る」ということです。ご本人の状態によってコミュニケーションの取り方が変わってきます。
そして五つの「ない」に注意をすること。
1.驚かさない
2.急がせない
3.否定しない
4.責めない
5.自尊心を傷つけない
これはどの資料にも書いてあります。
なんだと思われるかもしれませんが、仕事で支援をしている私たちでも難しい場合があります。思わず、驚かせてしまう場合もあるし、急かすこともあれば、否定してしまうことも、自尊心を傷つけることもあります。
さすがに責めることはありませんが、もしかしたら態度でそれを相手に感じさせてしまっている場合もあるかもしれません。実際の支援の中で完全に五つの「ない」を実践することはとても難しいことで、ほぼできないと思っていた方がいいと思います。
絶対に失敗します。人間ですからうっかりがあります。ですが、どうせ失敗するから無理だろうということで最初から諦めていたのでは、状況はどんどん悪化していきます。理由は、認知症は病気で、病気は進行するものだからです。
確かに病気の進行によって、脳の機能は低下していきます。ですが、私たちの対応ひとつで、進行が緩やかになります。これは認知症の支援をしてきた私たちの実感です。
1.否定しない
五つの「ない」の中の「否定しない」ということについて考えてみます。
3月のブログで、落としたお箸を拾おうとして入居者さんからお叱りを受けるエピソードを紹介しました。
「ほっといてください」
と、こちらは支援するという当然の行動なのですが、それでもお叱りを受ける場合があります。
この状況を詳しく整理してみます。
①入居者さんが食事中に箸を落とした。
②入居者さんは椅子に座ったまま箸を拾うとしていた。
③見守りをしていた職員は、落とした箸を拾うとした。
④入居者さんに「ほっといてください」と叱られた。
こういった流れです。この状況を認知症の方だから仕方がないとみるか、それとも自分の行動のどこに問題があったのかと考えるかで、その後の支援が変わってきます。
職員の鼓動には支援者としての明確な理由があります。落とした箸を椅子に座ったまま拾うとするのは〈転落・転倒〉のリスクがあります。また落とした箸をそのまま使用することはできませんから、交換することにもなります。どちらにしても箸は職員の手に移ることになります。何よりも入居者さんはお客様ですから、職員としてサービスをするのは当たり前のことです。
こういったことを考えてみると職員の行動が間違いであったとはいえません。これはグループホームという入所施設という状況下だけの出ことではないように思います。自宅にいる場合でも良かれと思ってしたことが、相手の感情を害することはあります。別に相手の方が認知症でなくても、日常生活の中でさえ、そういうことはあります。もちろん、職員は何も言わず突然それをしたわけではありません。ちゃんと声掛けをしていました。では、何が問題なのか、ということです。
2.知ることは知ってもらうこと
一見、問題はないように見えますが、冒頭でこう書きました。『相手の状態を知るということも「知る」ということ』。つまり箸を落とした入居者さんの認知症の状態がどういう状態なのか知っていれば、あるいは、箸を拾おうとして叱られる事態は回避できたかもしれません。職員目線の対応は、必ずしも相手のためにはならないということです。
この利用者さんについて考えてみます(※ちなみにこの方は実在の方ではありません。私の知っている認知症の方を総合してつくった架空の人格ですので、その点はご理解ください)。
さて、この方はどういう人なのでしょうか。
①この方は早くにご主人をなくされて女でひとつでお子さんを育て、立派に成人をさせた方です。
②自立心の旺盛な方で、ご主人がなくなってからは特に仕事に家庭に、できるだけ人に頼らず生きてこられました(ご本人んはそのように考えておられます)。
③気は強いです。
④頭がよく、自分は学校時代は成績がよかったということが誇りです。
⑤グループホームにいても自分は他の人たちとは違うと思っています。
⑥グループホームに来たのは自分の意思ではなく子どもたちが勝手に決めたことで心底納得していません。
だいたいこんなところです。繰り返しますがこれは架空の人物です。「認知症高齢者の日常生活自立度」は「Ⅱb」です。具体的な状態は、
・日常生活に支障を来すような症状・行動や意志疎通の困難さが多少見られても、誰かが注意していれば自立できる。
・服薬管理ができない、電話の対応や訪問者との対応などひとりで留守番ができない等
自分でなんでもできるとは思わないまでも、何から何まで人の世話を受けなくてはならないとは微塵も思っていません。すると一声かけたというものの、職員のとった行動は、この方の自尊心を傷つけるものだった可能性があります。つまりなんでも自分でしたい、なんでもできると思っている方だということです。こういった方に対して、
「仕事としての親切を持っていってもうまくいかない、かもしれない」
と支援者は考えるべきでした。7月のブログで、認知症になったから本当の性格が出るわけではないと書きました。怒りっぽい性格はこの方の本当のものではないと思います。ただし、認知症のために脳機能が低下していて、苛立っているとき思わず怒ってしまうということはあるでしょう。
食事中に箸を落とす、ということは私たちでもイラっとします。粗相ですから、自分自身に頼むところがあり、他の人たちとは違うと考えているこの人にとって、それは我慢できないことだったのかもしれません。
3.まとめ
相手を知ることは自分を知ってもらうことでもあります。
支援者として、この方の気質や生活歴、その他諸々、そう言ったことを十分に理解していれば声の掛け方も当然変わってくるだろうと思います。それから何よりも、普段の接し方が変わってきます。その人を深く知るということは、この人に限ったことではありませんが、関係性を築いていくということです。その人の好む話題を話す、好きな歌を一緒に歌う、若い頃の話を傾聴する、そう言ったことを重ねたうえでの
「お箸、ひろいましょうか」
と、お箸を落としたから駆け寄って、
「私が拾います」
では、同じことを、同じ言葉で言ったとしても、まるで変ってくるということではないか。私たちはそのように考えています。