



タイトルは、「sweet memorys」。これを読んで松田聖子さんの歌と、なんとなく滑稽だけど何処か切ないペンギンの絵が重なって思い浮かぶ人は、それなりに長く生きてこられた方だと思います(笑)。
ちなみに私は、映画も観に行きました。
生きてきた時間と生きていく時間。どこかに折り返し地点はあって、その地点を過ぎると思い出がぐんと輝きを増す。そういった人がいます。もっとも、なかには葛飾北斎のように、自分は無限に生きて絵を描き続けると思っていたかのような人もいますから、こればかりは一概に言えません。


今回のブログのもうひとつのタイトルは「思い出のアルバム」。
日々は何気なく過ぎてい行きます。特別な日のイベントにしても、過ぎてしまえば、記憶は風化していきます。しかし、アルバムを開き、あのときを振り返ってみると、自分たちはけっこういろいろなことをしてきたのだということに気づきます。
楽しい思い出のアルバムは、楽しいあの時の記憶を鮮明に蘇らせてくれたりもします。
なのですが、ここが微妙で(笑)、人の記憶はそもそもいい加減なものだといいます。あとから聞いた情報でも変化するもので、実際には起きなかった出来事でも、それがほんとうに起きた出来事のように記憶してしまう、人というのはそういう生き物のようです。
だとすると、記憶は記録ではなく、自分だけの物語だということも言えそうです。思い出は正確に覚えている必要もないもの、思い出して楽しめればそれでいいものだということです。思い出のアルバムを楽しめるのは、自分が本当は体験しなかったかもしれない出来事を、あたかも体験したかのように感じさてくれるからなのでしょう。
だから、今回は思い出の場面を集めたスライドを作りました。
〈ひかり〉は生活の場です。日々、様々なことが起きています。生活の中で誰にでも起きる感情の揺れのようなものは、利用者さんにも職員にもあります。
職員は利用者さんと生活を共にして、お手伝いをすることはできます。しかし、胸の奥の奥にある思いにまでは手が届かない、そんなもどかしさを感じることも、時にはあります。
利用者さんが笑ってくれるとき、私たちもほっとします。それが長く生きてこられた皆さんの知恵なのだと理解したとき、職員は支援をしているようで、実は助けられている部分が多くあることに、いまさらのように気づきます。
いろいろな思いを秘めて笑ってくれる利用者さんたち。
思い出のアルバムの中で笑っておられる自分自身の姿を利用者さんに見ていただき、あのときの楽しかった記憶を呼び起こしていただきたいと思います。利用者さんに限らず、職員も含めて、それは、もしかすると実際に起きた出来事とはいくらかの違いはあるかもしれません。ですが、そこに楽しい思い出があると感じられるのなら、それだけで人は生きている喜びを感じられるものかもしれまません。
こうして過去の楽しかった瞬間を切り取って観ていただくことも、とても大切な支援だと、私は考えています。
いずれ、私たちも思い出のアルバムを開いて、自分だけの物語に浸る日が来ます。その日のために、楽しい思い出を、自分の中にたくさん作っておきたいと思います。
■思い出のアルバム(予告編)